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焼き場に立つ少年


(1945年 被爆地 長崎にて撮影)
写真展「写真が語る20世紀…目撃者」1999年朝日新聞掲載、
ジョー・オダネル氏のコメントより抜粋。
 

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。  
…10才くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。 おんぶ紐をたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。  
…しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやって来たという強い意志が感じられました。
しかも彼は裸足です。
少年は焼き場の渕まで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
…少年は焼き場の渕に、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクをした男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気づいたのです。
男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、 焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それから眩いほどの炎がさっと舞い上がりました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、 炎を食い入るように見つめる少年の唇に血が滲んでいるのに気がついたのは。
少年があまりにきつく噛みしめている為、 唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、 少年はくるりと踵(きびす)を返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。
背筋が凍るような光景でした。」



手遅れな状態の原発を
コンクリートで覆う計画とはすなわちこういうことで
あってはならない事故の代償としておこる
手遅れな後遺症被害とはこういうことだ


Paul Fusco Photography

ポール・フスコ Paul Fusco
アメリカ人
1930年マサチューセッツ生
ニュージャージー在住

1930年、アメリカのマサチューセッツ州に生まれる。
1940年代より写真に興味を示し、1951年から3年間写真家としてアメリカ陸軍通信隊に所属する。
1957年、オハイオ大学でフォトジャーナリズムの 学士号を取得。
同年より1971年の長きに渡り「ルック」誌を代表する専属写真家として活躍し、アメリカ各地を取材した。
1974年、多くのマグナムの写真家の推薦によって正会員として迎えられた。
70年代には、集中して4冊もの写真集を出版、一躍名声を得た。
個展もニューヨークやサンフランシスコで開催され、またメトロポリタン美術館や
ニューヨーク近代美術館でも作品が展示され、大きな反響を呼んだ。
最近で は、メキシコのサパティスタ、エイズ問題や、チェルノブイリ事故の後遺症問題などに取り組んでいる。
2000年には、1968年のロバート・ケネディの遺体を運ぶ列車の中から
沿道の人々を撮影した写真集「RFK Funeral Train」を編纂し、大きな反響を呼ぶ。世界各地で展覧会も開かれた。